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2008.05.02 (Fri)

文章って難しい

どーも、真夜中です。小説の続き、がっと書いちゃったんで上げるために更新します。



まず、拍手返信しますね。

>1:12 病気だったのかい?言ってくれればお見舞いするのに。菊の花束持ってw 名簿@図書館島で僕と握手

・すいません、心配かけちゃって>< 菊の花束ってまだ死んでねーよw
・そういや図書館島行こうかなとか思ったんですが東京ですか・・・遠いなあ、来年くらいに行こうw


>2:56 マヨsに同じく色んなときにゲームの改造ネタとかがが出ますけどいつも行動を起さずに消え去っていくんです

・やっぱり皆さんあるんですよねー。最近気づいたんですが、思いついた時に思いついたエネルギーを使って行動しないと駄目ですね、やはり。
・でもいざ作ってみると「あれ?」みたいな結果に終わることがしばしば・・・「霊界のすすめ」もそうなってしまうのでしょうか。


>0:21 性転換ネギま!ずっと待ってたんだ、うれしいよ。


・ネギま!は普通にラブコメをやってればいいと思う。という私にとっては素晴らしい題材ですのよ。
・原作では空気空気だった美空も性転換して空にすればあら不思議!
・やはり性転換には無限の可能性を感じずにはいられない真夜中です。



では続きに「霊界のすすめ」をうpしました。
実はこの「霊界」という世界観が書きたいがために書き始めたので結構長くなっちゃったんです。

読みにくいってのもあるんですが、今回は量がありますから・・・暇で死にそう!って方だけ読んでいただければw

もしかしたら変なところがあるかもしれませんが・・・主人公が言ってるとおり随時保管しますので目を瞑ってやって下さい。


では、続きからどうぞ。

【More】



俺は今では「人外」、「幽霊」に分類されている。
しかし俺が今いるのは、生前住んでいた実家である。正確には家の仏壇の横。仏壇には俺の写真と火のついた線香、花が添えられている。
もちろん今の俺の姿は両親には見えていないし、触ることもできない。
まずわかっておいてほしいのは、「霊界」は人間が住んでいる「人間界」と同居しているのである。
ただ普通の人間には俺たちの姿が見えないので、他に霊の世界があるなどというイメージが定着していたりするのだ。
たまに感覚的に霊の存在を感じる人間もいるが、はっきりと見える人間はそうはいないはずだ。少なくともテレビに出ているような奴にそこまで感性の鋭利な奴がいるはずがない。


さて、生前の俺が持っていた一般的な「幽霊」のイメージだが、
・足がない(浮いている)
・透けている
・人間にはない能力を持っている(ポルターガイストなど)
・夜、トンネルなどが好き
・乗り移ることができる
―などなどの能力を持つ、それが「幽霊」としての資格。
初めに言っておくと、「幽霊」は今さっき述べた「人間」のイメージとは激しく異なっている。
異なっているというよりは、持つイメージが人間と霊によって齟齬があるのだ。
まず「足がない」という点だが、今現在俺の下半身にはしっかりと右足と左足がついている。
つまり霊は常にふよふよと浮いているわけではなく、しっかりと地に足をつけて歩行しているのだ。
もし俺たち霊がどこまでも天に向かってすっ飛んで行ける体だったとしたら、地上に残る奴なんてほとんどいないだろうと俺は思う。
人間は生きている内に嫌と言うほど歩き続けたのだから、いざ空を飛べるようになったなら気ままに宇宙の旅に出たり、前人未到の土地に悠々と行ってみたりしたいと思うのだ。
第一、霊が浮遊できるならその辺で写真を撮って霊が写るなんてことはほぼありえないはずだ。人間ではとても届かないような場所でぷらぷらしているはずなのだから。死んでからもこんなゴミゴミした場所で過ごすなんて奴はそうはいないだろう。


幽霊で少し得することの一つに「透ける」というものがある。これは人間のイメージとほぼ同じである。
透ける能力について説明するためには、先に霊の五感について知っておいてもらう必要がある。
人間の五感といえば味覚・嗅覚・触覚・視覚・聴覚であるが、霊には味覚・触覚・嗅覚がない。
味覚に関して言うと、霊は生理的欲求というものがほぼ完全に欠如している。
食欲、睡眠欲、排泄欲はなくなり、常に満腹というか腹が減らない状態にあり、眠くもならない。
しかし眠れない、というわけではなく眠ることはできる。霊になったばかりだと生前の習慣が抜けにくいので、その為の措置なのかもしれない。
そして生理的欲求の一つとして性欲があるが、完全になくなっているわけではないようである。
今、俺にセクシーな水着のお姉さんが密着すれば、男として当然の反応をしざるを得ないはずだ。霊でも生殖的な活動ができるのかは不明だが、女性に反応する程度の性欲は持ち合わせているらしい。

そして触覚だが、俺達霊が壁にぶつかって「あいたー」と頭をさする姿を想像してみてほしい。それはとても滑稽な画だろうと思う。
死んでいるのでこれ以上は死ぬことはない。ということは痛みを感じない、痛覚がない。となると触覚がない。と俺は考えているが、本当にそうなのかはわからない。
というのも水に触れてみると、「冷たい」という感覚が残っている気もするのだ。これは生前の感覚を脳が覚えているからかもしれないが(霊に脳があるのかは不明だが)、本当に冷たいと感じているのかもしれない。
しかし触覚が残っているということは物に触れることができるということなのだが、霊は物を持つことができないようになっている。何かに触れようとするとマンガと同じように手がすり抜けて触れることはできない。
そうするとポルターガイスト現象だの、ラップ現象だのの説明がつかないのだが、その辺どうなのだろうか。
俺もたまに物を落としてしまったりするが、わざと落そうとしても3回に1回くらいしか落とすことができない。知りあいには任意で落としたり、触れずとも落とすことができる奴もいるが、これは時が経って突然身に付いたり、訓練で簡単にできるようになるらしい。

そんなわけで霊は壁、物体をすり抜けることができる。これは壁の厚さなどには影響されない。分厚い壁をすり抜けようとして、体が埋まってしまうと完全に手探り状態になってしまうのだが。
物体をすり抜けることができるということなのだが、立体的な透明の能力はないのだと俺は思っている。
つまり、壁をすり抜けることができる=なんでもすり抜けるという単純な話ではないのだ。
例えば霊が完全に万物に触れることのできない存在だとすると、今いる地球自体もすり抜けてしまうということになるが、霊はそんなことどこ吹く風と悠々と地上を歩いている。
それに階段を登れないわけでもないし、建物の床をすり抜けて地面に落ちてゆくなんてこともない。
だとするとやはり俺たちは低空で浮いているのかもしれないが、本当にそうなのかはわからない。


変わって、俺達が普段どこで何をしているのかという話だが、はっきり言ってこれといって何もしていなく、それが霊にとって最大の問題点でもある。
霊になったばかりだと、やることもないので生前に自分が住んでいた家とか、自分の墓のある場所だとかに行ったりしている霊が多い。事故で命を落としたなら、死に場所に向かったりする奴もいるようだ。
心霊スポット、などと騒がれている場所は大抵墓地だとかトンネルなのだが、それにも理由はある。
さっきも言ったように自分の墓を見に行く霊は多い、自分の墓を見ていると同じ墓にいた他の霊に遭遇し、話し込んで意気投合してしまうなんてことは霊の中ではよくある話なのだ。
死んだ時は大抵孤独な状態なので、話し相手や、友人がいればそこに安住してしまうなんてことはよくあるもの。
トンネルや廃墟については、ただ単に人間が来ないからそこにいるというだけだ。生前の都会の雑音にうんざりして「死んだ後くらい静かにすごしたい」という霊がそういう土地に集まる。
墓地と同じようにそこで意気投合してしまえば「心霊スポット」が一つできあがる。
そこでは土地に対して霊の人口密度が高いので、そこで写真を撮れば一人くらいは写りこんでしまうのだ。
特定の場所にじっとせずにその辺をうろうろしている霊は、人間たちが撮った写真に写りこんでしまうなんてことがたまにある。それがテレビで公開されて「お祓い」などという名目で焼き払われたりしているというわけだ。


ここまで説明したところでなんとなくわかるかもしれないが、霊は基本的に人間に干渉しないよう、閻魔大王に厳しく律されている。
物音を立ててしまう、などという無意識の所業なら構わないが、故意に音を起こしたりして人間に迷惑をかける行動をして、それが閻魔大王の耳に入ってしまうと閻魔の手下が当事者を連れて行き、閻魔が処罰を行うのだ。
罪の一つとして人間に乗り移るがある。人間に乗り移ることは意外にも簡単にできてしまうのだが、それはこっちの世界においては重罪とされている。
処罰の内容は俺も知らないがとりあえず厳しい罰だという。霊なのに肉体的にも、精神的にも苦痛らしい。
だから普通の霊は人間に乗り移って生前の気分を味わうなんてことはしない。生前、「人が変わった」という言葉を聞いたことがあるが、今考えると本当にその人に霊が乗り移って中身がとっ変わっているのかもしれない。そりゃそうだ、マジで中身が変わってしまっているのだから。

そういえば東北地方には「イタコ」という霊を自分に乗り移らせてお言葉を聞く、なんて職業?があるがイタコは霊界で大人気なのである。
こちらからすれば、罪なく人間に乗り移って生前の気分を味わえるのだからいいとこばかりなのだ。
あまりにイタコを希望する霊が多いので、閻魔のところにいつも用紙が置いてあり、それにはいつでも「乗り移り待ち」の霊の名前がびっしりと記入されている。
なのでイタコが目当てにしている霊が乗り移る可能性はかなり低い。
まあ人間側がタブーを犯して霊の言葉を聞こうとしているのだから、確率が低いのも当然なのだろう。そう簡単に死人の意見を聞くことができたら、霊と人間のボーダーがかなり近いものになってしまうのだから。


最後に霊界での霊の総数の話だが、これはめちゃくちゃ多いように見えて結構少ないという統計が出ている。
というのも、霊になって色々と便利な体を手に入れることができるが、前述のように全くというほどやることがない。
下手に人間に干渉しようものなら厳しい罰が与えられるので、心残りのある物・人の後ろに憑いて眺めておくことくらいしかできないのだ。これが俗に言う地縛霊、背後霊に当たるものである。
温厚で気の長い霊なら、自分の子孫等を温かく見守ろうということになるのだが、短気な奴や陰気な奴になるとすぐにちょっかいを出して人間に迷惑をかけてしまうのだ。
地獄耳の閻魔大王はそうした行いをほぼ100%見逃さずに処罰する。
「人間界への干渉」で検挙されると罪の大きさに関わらずその干渉した対象に近づけないようにするおまじないがかけられる。こうなるといよいよやることがない。
霊には人間でいう趣味というかそういうものが見つけづらい。ただ毎日をふよふよと漂っている、それだけの霊が多いのだ。
そうなると霊界には「ただいるだけ」の霊が溢れ返ってしまう。その救済の一つが閻魔のところにある「生き返り願」、「送別願」という書類だ。

「生き返り願」はその名の通り、もう一度人間としてやり直すことを希望する霊が届け出る書類である。
まず生き返りの制度について説明すると、死亡した時点であまりに未成熟な場合や不幸な死に方をした場合、その場で閻魔大王との面接があり一応の生き返りに対する本人確認をしてから、無条件で生き返りの名簿に加えられる。
例えば出産の際の不備で亡くなったとか、無差別殺人に巻き込まれた、なんて人間は即生き返りの権利が認められるのだ。
一方普通に(というのも変だが)死亡した場合、一旦霊界に送られて「生き返り願」を出す権利を与えられる。
大抵、2~3年くらい体験したことのなかった霊を体験するのだが、やはり目的がないので多くの霊が飽きてしまう。
そして一部の霊は閻魔のところに行き、「生き返り願」の手続きを行うのだ。もちろん霊の暮らしが気に入った奴はそのまま霊として暮らし続ける。
一回直に現場を見たことがあるが、閻魔が「生き返り願」に判を押すとその瞬間に提出した霊はぴゅっとあっけなく消滅してしまう。
閻魔に聞くと霊界でも人間界でもない世界、「待機所」という世界に送られるのだそうだ。生き返りを希望する者はその世界で生き返った後のマナーだとか記憶の処遇だとかを勉強して、過程を終了したものから生き返ることができるらしい。

また閻魔の話だと、凶悪殺人犯や人間界に大きな不易をもたらした前歴がある霊は霊界には送られず、「別界」というところに送られるという。
そこは霊の冷凍保存所のような世界らしく、霊を「ひとだま」の形にして眠らせておくという。そうすれば霊界で悪さを働くなんてこともなくなるということだ。
さらに霊界で重罪、例えば人間に乗り移って悪さを働く等の罪を犯せば場合によっては別界に送ることもあるらしい。
そう、もうおわかりだろう。「送別願」というのは自ら別界に送ってくれ、とお願いする書類なのだ。
毎日のふわふわとして生活に飽き、人間として生まれ変わるのもどうかと思う霊は送別願を書き、別界へ送られて言うなら「永眠の永眠」につく。
意義のない日々を過ごし続けるというのはとても辛いことで、この「送別願」を届け出る霊は結構な数なのである。
「送別願」を出した霊には人間界単位で3日の猶予が与えられ、本当に別界に送られてもいいのかと考える時間が与えられる。もし考えが変われば、取り消すことも可能だ。
「送別願」を出した後の猶予期間はすべてのものがすごく色づいて見えるらしい。「この体もあと3日か」と考えるとやはり感慨深いものがあるのだとか。
そして3日間経つと、閻魔のところにある別界への扉を通ってついに送別される運びとなる。
こうして霊界の平衡は保たれている。閻魔大王さまさまなのだ。


霊になってから二年余り、俺は色々と考えたが、やはり霊というのは曖昧な存在であって個人の意識一つで色々と不都合をクリアーしているのではないだろうか。
すり抜けの話で言うと、霊は「これはすり抜けられる」もしくは「すり抜けたい」と思っているから、壁をすり抜けることができているのではないだろうか。
俺たちは人間として生まれ、二足歩行で歩き、人間として当たり前に暮らしてきた。その知らず知らずの内に埋め込まれた意識が霊になっても残り、霊は生前と同じように歩き、暮らしている。
もし人間が持っている霊のイメージの中に「透ける」という概念がなかったのなら、霊に「壁を透ける」なんて能力はなかったかもしれない。
そうすると霊は「人間の幻想」、存在しているのかいないのか誰にもわからない中途半端な存在なのだ。
今いる霊界も、死んだ後の脳で描き出している夢で、そんなものは存在しないのかもしれない。そしてそれが真実なのかは誰にもわからない。霊であろうと、人間であろうと。
しかし今俺は「霊」として確かに“生きて”、存在している。地に足をつけて立っている。
霊界はとても壊れやすくて、儚い世界かもしれないが、人間界とはまた違った一つのコミューンとして成立しているのだ。
考えてもしょうがない、という一種の開き直りではあるが、俺は霊として“生きていたい”、そう思う。


説明が長くなってしまったが、これが霊界の概要であると思ってもらって問題はない。必要であればまた随時説明しようと思う。
説明にも飽きてしまったので、説明にも出てきた閻魔大王の所へお邪魔しようと思う。閻魔大王は生前の俺たちが思っている以上に霊に身近な存在で、暇つぶしにはもってこいなのだ。
ただ閻魔大王は結構変わっているので、俺の知人はあまり積極的に訪問しようとはしない。
閻魔のところへ行くこと決めると俺は仏壇の横から腰をあげ、壁をすり抜けて玄関まで歩き、ドアを開けずに外へ出た。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

THE☆継ぎ足し


やっぱり若干キョンのような口調になってしまうなあ^^;
しかしこの霊界の世界観、まずこれが授業中に浮かんできたのでこれが書きたかったわけですよ!

本当に霊界があったなら霊たちはどんな暮らしをしているのだろう?と考えているとこういう感じになりました。自分が霊になったような気分で楽しかったです。

まだ設定の全部を書ききれてないので、それは閻魔との会話の中でお話していこうと思っています。

では、次回でまた。



真夜中
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